19世紀フランスに台頭した印象派の画家といえばモネ、マネ、ルノアール、ピサロなどが有名どころである。
印象派というのは『一瞬の印象』が第一という主義からの命名だろうと思っていたが違っていた。
ものの本によると,従来の形式主義的絵画と比べれば印象重視であろうが、直接的な命名の由来はモネの1874年の作品の題名によるという。モネは、屋内のアトリエより風景や外光の下での人物を目に映るままの色彩で描いた。その作品の題名は 『印象ー日の出』、 この題名 『印象』が由来していたのだ。
その次には後期印象派と括られる画家達がいる。ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなど。
美術解説書によると「印象派とは全く異なる世界をめざし、自己の内面世界を表出しようとした。そのため Post impressionism と名づけられた」とある。それなのに、そう記述している美術解説書自体が、Post impressionismを後期印象派と訳しているのが変だ。
Postは後期ではないだろう。
現にPost麻生は後期麻生とは訳さない。麻生以後。つまりPost麻生は鳩山である。
鳩山さんも、後期麻生といわれれば「私は鳩山だ。全く政治がかわる」と言うだろう。最近の報道によると「全てやる」為に公約違反の赤字国債を増発する状況になってきている。オイ、オイ。
話をPostに戻す。
ゴッホだって印象派の後期といわれれば 「違うPostだ。Post impressionismだ!」と言うに違いない。
新明解は後期について『ある期間を幾つかに分けた、後(後半)の時期』と記している。
つまり、前期と後期は、同一のもので括られる連続性がある期間を、時期によって分けるのであって、全く異なるものではない。 やはり後期はPostでは無い。Post impressionismを後期印象派と訳すのは誤りである。そのままPost印象派と言うべきだだろう。
美術解説書を読んでも、本論よりこういうトピック的なことや枝葉末節なことに興味が向いてしまう性格のようで、本題は余り印象に残っていないのではないかと心配になる。
いまさらながら困ったものだ。
また、このような話しをご披露ください。