火災予防のため、町触れにより煮炊きの火の扱いを、朝五つ(午前八時)から四つ(午前十時)に限られた澪は、冷めても美味しく食べられる割籠(弁当)を供して難を乗り切る。
盆暮れには毎年帰省していたが、その度に母はビフテキ・蒲焼・鮎塩焼き・十六隠元など私の好物でもてなしてくれた。母が身罷った後は父が気を配ってくれ、到着した日の夕食は割籠になるのが常であった。
仕出し屋から割籠を調達すればちょっとした夕食だし、遠路到着間もないChiが調理に時間をかけずに済むという親心だった。
20年くらい前まで、実家ではビーフステーキはビフテキであり、仕出し弁当は割籠であった。
トンテキもあった。
久しぶりに割籠という文字を目にして、往時を思い起こした日は盆だった。