言葉

2-769) 連帯と孤立

吉本隆明氏が亡くなった。
文学、思想、宗教を深く掘り下げ、戦後の思想に大きな影響を与え続けた評論家で詩人の吉本隆明(よしもと・たかあき)氏が16日午前2時13分、肺炎のため東京都文京区の日本医科大付属病院で死去した。87歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。 喪主は長女多子(さわこ、漫画家ハルノ宵子=よいこ)さん。次女は作家よしもとばななさん。

結果的に言うと、私にはそれほど大きな思想的影響を与えはしなかったが、よしもとばななさんの父君であること以上の存在ではあった。

訃報に接したとき「連帯を求めて孤立を恐れず」というフレーズを思い浮かべたが、氏の言葉ではなかった。
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これは、1969年1月、東大の安田講堂に立てこもった全共闘の学生が壁に書き残して有名になったが、谷川雁氏の文章のようだ。
「連帯を求めて孤立を恐れず」・・・自分が正しいと思っていることを貫こうとすると、周囲から孤立してしまう。しかし、きっと自分と同じように考えている人達がいる。孤立していても、そういう人達と心がつながっているのだ。 というような気持らしい。
「孤立を恐れず」ということは、本当は孤立を恐れているのだ。恐れているから、こういう言葉で自らを鼓舞していたのだろう。
あの時代には結構流行ったし、私もご多分にもれずノートの端などに書いたりしていた。

正直言うと、当時、私は意味するところがよく分からなかった。
語順どおり意を探ると『連帯を求める余り強引な手法をとってしまい、孤立してしまうこともあるが孤立することを恐れてはいけない、孤立しても連帯を求めよ』 なんだか、自己矛盾的な標語になってしまう。それでも連帯・孤立という単語に共感?していたのだろう。

それはさておき、最近は「孤立を求め連帯を恐れる」である。

連帯なんて面倒くさい。家族以外とはずーっと孤立していて、時々顔合わせるくらいが丁度良いと思う。群れるのは時々でよい。まして先頭に立って音頭を取るなんてことはお断りだ。

荷物なんぞは何も無いという簡素な生活に憧れながらも、日々、物は増えていく。だから、せめて人間関係だけでも簡素?でありたいと思うのよ。

あまり深読みしないでいただきたい。人間関係と言ったって、付き合いのことだから。
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by ikuohasegawa | 2012-03-23 05:00 | 言葉 | Comments(0)

十や十五連休なんて目ではない。三百六十五連休が始まった私。


by ikuohasegawa