SNSは『あったら便利は無くても平気』ということのようだ。
一部を抜粋する。
違った。『あったら邪魔で無いほうが良い』という主張のようだ。
この前の文節でSNSに関して、個々が情報の発信手段を有することは民主主義の形態であろう。と認めながらも、得られる情報は『その多くがでたらめなゴシップ』『ある事件に関する意見』『その多くは無くてもいいもの』と厳しい指摘。前節は単なるマクラ?世辞?にすぎなかった。
ブログがSNSの範疇に入るのかどうかは解らないが、ここまで言われると詫びるよりしょうがない。
ブログを作成する私は有効に時間を使っているが、ブログの中味はご指摘のとおり『ある事件に関する意見』残念ながら『その多くは無くてもいいもの』に該当するから
「読む人の時間をつぶして申し訳ない」
まあ『その多くがでたらめなゴシップ』を書かないことと、読む人が少ないことが救いだ。
それはさておき、悔し紛れの八つ当たりではないが、このエッセイ記事の文章は解りにくい。
『ほかにもっと恒久的な知識を取り込む時間をつぶしている』を読んで混乱した。
『ほかにもっと』が不用意。無くてもいいものでが『ほかにもっと』有るのかと思ってしまう。
そういう目で読み返すと『SNSによって』が掛かっていく『情報が入る』との間が遠い。『・・・が、』『・・・で、』と文章をつなぎ長文になっている。
無礼を承知で添削した。
まず、原文。
SNSによって、他人の1日の行動、天気の具合、交通手段の状況、事故の詳細な速報、その多くがでたらめなゴシップ、ある事件に対する意見、など無限に情報は入るが、その多くは無くてもいいもので、ほかにもっと恒久的な知識を取り込む時間をつぶしている。
『SNSによって情報は無限に入る。/しかしその多くは無くてもいいもの。/いわく他人の1日の行動、天気の具合、交通手段の状況、事故の詳細な速報、多くがでたらめなゴシップ、事件に対する意見など。/恒久的な知識を取り込む時間をSNSによってつぶしている。』悔し紛れの八つ当たりだな。
自分のハードルを上げてしまったが、ネタ不足の折、背に腹はかえられぬ。
悔し紛れの八つ当たりです。笑って見逃してください。
ブログで一項目立ててご報告します。いまから(8日)雨具を装着して散歩です。三歩ですめばいいのですが。