製本&修理:スキル

3-680) 『横浜 中区史』の修理(背割れ)

磯子図書館の修理日。
「これをお願いします」と廻ってきたのが『横浜中区史』
1985年(昭和60年)刊行。
しかも、このサイズの本にしては、ありえない角背の上製本で1200頁の大冊。

頼られるのは嬉しいけれど、これはチョイと厄介な修理になりそうである。
それだからの、「これをお願いします」なのだけれどね。

診断開始。
本文と表紙はかろうじてつながっているが見返しのノド元は破れ始めている。本文は三箇所で背割れしている。
そのうちの一箇所は分裂している。
3-680) 『横浜 中区史』の修理(背割れ)_d0092767_18123249.jpg
幸いなのは折丁を糸で綴じた製本であること。
更に嬉しいのはその綴じ糸が切れたり緩んだりしていないこと。分裂した個所の横糸も切れているけれど抜けることなく、切れたまま接着されている。この状態なら綴じなおさなくても修理できる。

1200ページを綴じなおすことになったら、おそらく本年度いっぱい掛かるだろう。
念のため申し上げますが『本年度いっぱい』というのは12月末日ではなく、3月末日までを指しております。単調な糸綴じを繰り返すこと5ヶ月。
そう予測すれば「これをお願いします」とt他人に廻す気持ちもわかる。

まず背割れを復した。
更に背を強固にするため普段はクラフト紙で作るクータ(筒)を寒冷紗で作り着装。
差込み図版の折り癖の修正、見返しの切れなど細かい補修をして、概ね終了。

3-680) 『横浜 中区史』の修理(背割れ)_d0092767_18121275.jpg
後は後日、左右の浮いているミゾ部分を接着して終わる。

結局、この日はこの一冊に掛かり切りとなった。

ちらりとのぞいた『横浜中区史』には
・・・地理的に東海道からはずれていたが、神奈川宿や保土ケ谷宿と結びついて、その経営や負担が行われていた。 とあった。

結びついて
というのを他人が言うと、依存していたということになる。
今でこそ中区には市役所もあり、横浜市の中心区であるがその歴史は浅い。かつて、東海道の宿場として神奈川宿、保土ヶ谷宿は栄えていたが、横浜村(中区)は街道から外れた海辺の寒村であった。
異人さんの渡来が契機となり、関内から発展が始まったのだ。

そういえば神奈川宿(区)には幕府の奉行所もあった。
だから、この県は神奈川県となっている。
とすれば神奈川県の県庁所在地の名は、神奈川市でも良いだろうに横浜市という海辺の寒村に由来する。
その横浜市市役所は中区にあり神奈川区は別にある。

どうしてなのかよく解らないが、横浜市、中区は異人さんのお蔭で今日がある。と言っても過言では無い。

片手落ちになってはいけないので神奈川区HPの歴史を見た。

日本武尊が東方へ赴く際、今の神奈川の海辺柚ヶ浦に船出の用意をしました。そこが「上無川(かみなしがわ)」なのでした。その時、倭姫にいただいた宝剣が金色燦然としてこの川水に映ったので、この地を金川(かながわ)と名付けました。その後時が移り、源頼朝がこの金川(かながわ)の風光を賞し神名川・・・

日本武尊に倭姫、そして源頼朝。別項には浦島太郎だって出てくるのだから、中区とは歴史が違う。
私は神奈川区民ではないけれどね。









Commented by saheizi-inokori at 2014-10-25 10:16
中区にも住んだことがあります。二年だけですが。
もっといろいろ歩いてみたらよかったと思うけど仕事ばっかりでしたね。
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by ikuohasegawa | 2014-10-25 05:09 | 製本&修理:スキル | Comments(1)

十や十五連休なんて目ではない。三百六十五連休が始まった私。


by ikuohasegawa