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2-776) 舌代

舌の役割といえば、「甘い」「苦い」「美味い」などの味を感じる味覚。それを感じ取るのは舌の表面の〝味蕾〟である。
みらい【味蕾】
脊椎動物の味覚の受容器。主に舌の上面に存在。味細胞と支持細胞からなる花の蕾(つぼみ)状の微小な器官。ヒトでは約一万個あるといわれ、甘・酸・苦・塩の味をそれぞれ別個の味蕾が受容する。

牛タンを食べて美味いと感じるのは人の舌の〝味蕾〟だけど、牛が美味さを感じていた舌を食べるのだから、タンを食べて私の舌が美味いと感じるのは、当然のような気がする。

タンはともかく〝舌代〟というのを飲食店の価格表で見ることがある。
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どういう意味なのだろう。
〝しただい〟と読むなら、料理の美味さや味で舌で感じるから、その料理の代金を舌代といったのだろう。
どうしても牛タンが出てきてしまうが、牛タン屋だと〝舌代〟はタンの代金のことだと思ってしまうが、そうすると他の部位でロースだと〝肩代〟とか書かねばならぬ。

よく分からないので、新明解のお世話になった。〝 した だい 〟では無く〝ぜつ だい〟であった。

ぜつだい 【舌代】 口上の代わりに書いた挨拶文。

舌に代わって文字で表すという意味だとすると、舌の持ち主である主人が来て挨拶すべきところを、書き物で代えるという事だから、次の用法が正しい事になる。
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価格表の〝舌代〟は、「主人が来て挨拶すべきところを書き物で代え、更にそれも略して申し訳ないが、お値段は・・・・」という感じだな。

また、代わりの人が口上を述べると、〝代舌〟といいそうな気がするが、そうは言わない。代打があるのだからあってもよさそうに思う。
この代打も、代打ちというと、代理で賭博等を行うことになってしまう。

それはさておき、舌には味覚以外にも「発音する」という重要な働きがあり、「舌先三寸」「舌の根も乾かぬうちに」「舌ったらず」などのように、口と同様に「言葉の代名詞」のように使われることがある。

英語のRとLの発音は舌の巻き具合が違うと教えられたが、私は上手くできなかった。友人の上手な発音を聞いて舌を巻いた。

どうして、舌を巻くと感心することになるのだろう。
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by ikuohasegawa | 2012-03-30 05:46 | 言葉 | Comments(0)

2-775) 3月の鰻は太田町・鰻割烹 江戸徳

今月の鰻は中区太田町の、鰻・割烹 江戸徳。
関内という場所柄を考慮して、11時30分に到着できるよう行動。

食味もさることながら、興味が向くのはこのところ報道されている〝しらす&鰻価格高騰〟の影響。鰻重は一体どんなことになっているのやら。なんせ、廃業する鰻屋が出ているし、タスマニア産の天然鰻が話題になるくらいだから。
案の定、江戸徳のショーケースも鰻重だけは価格訂正の張り紙。
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2,500円の前は2,300円か2,000円だったのだろう。
月一の行事だから良いようなものの、あまり値上がりすると別テーマを考えなくてはならぬ事になる。候補としては世界各国の料理というのもある。
中国、韓国、台湾、フランス、イタリアから始まって・・・・・・20や30カ国は有りそうな気がする。

そんなことを考えている内に、30席の一階も、二階も満席のようで、関内の昼食時に鰻重を頼むのは常識外れだったかと気がひける。しかし、800円1,000円のランチの注文が殆どだから、滞留時間が2倍になっても帳尻は合うなどと考え始めたら鰻重登場。40分が経過していた。
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あっさり目のタレで、ふわりと柔らか。たいへん美味しく頂きました。

この江戸徳、磯子で賃貸ビル業も営んでいる。
そこはかつて磯子の浜に面した料亭だったとか聞いているが、サラリーマンのランチ客が多くあわただしいので、アレコレ感想を述べてる暇は無い。ごちそうさま。
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by ikuohasegawa | 2012-03-29 06:26 | うなぎ | Comments(0)

2-774) 地 頭

〝地頭〟は、日本史受験生なら【じとう 地頭】と読んで、鎌倉幕府・荘園・管理支配職を思い浮かべるだろう。しかし、一頃流行ったサラリーマン向け自己啓発書の〝地頭〟は、『知識の有る無しではなく、持てる知識を組み合わせて解答を導き出す能力』であり、その能力を高めることを〝地頭を鍛える〟と説いていた。そして〝地頭〟は「ジアタマ」と読ませた。

とりあえず、新明解で【じあたま 地頭】を引くと、『かつらなどをかぶらない、そのままの髪の頭。』と載っている。地は〝地が出た〟と使うように、本来のという意味だろう。
そこへ〝地頭力〟とくれば、当然意味は『かつらなどをかぶらなくても、そのままの髪で頑張る頭の力』かと思ってしまう。

それはさておき、れっきとした【じとう 地頭】、【じあたま 地頭】という言葉があっても、現在ではそれ自体が使われる機会は少ない。
【じとう 地頭】は受験専用状態だし、【じあたま 地頭】は使うシーンを考えても余り浮かんでこない。

無理にひねり出すと、どうしてもこういうことになる。
精巧な高級カツラを話題にしての会話。
「彼は地頭(じあたま)かい?それともカツラかい?」
「そうか、カツラだとすると、彼はずいぶん奮発したねー」

それが、【じあたま 地頭】は『知識の有る無しではなく、持てる知識を組み合わせて解答を導き出す能力』だという。しかし〝地頭を鍛える〟で、私が最初に思い浮かべたのは、岡田副総理である。
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この方は、【じあたま 地頭】を鍛えているような骨格をしておられる。いかにも頭突きは強そうだ。

しかし、彼はバレンタインチョコも送り返すというエピソードの持ち主なので、頭は硬い。原理原則で応用力はチョッとというタイプとみた。〝地頭力〟は鍛えていないような気がする。

ということは、本物の堅物ということになる。
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by ikuohasegawa | 2012-03-28 05:52 | 言葉 | Comments(0)

2-773) 猫のオリンピック

【プノンペン共同】 カンボジア国籍を取得してロンドン五輪出場を目指すタレントの猫ひろしさん(34)が男子マラソンの同国代表に決まった。カンボジア・オリンピック委員会が25日、明らかにした。五輪の陸上では、参加標準記録を突破した選手が1人もいない国・地域は、男女1人ずつがいずれかの種目に出場できる「特例」がある。 

特例に目をつけて、カンボジアならレベルが低いから、出られる可能性がある。で、国籍取得。

カンボジア・オリンピック委員会は、国籍のある選手の中から規定どおり選出したのだろうが、なんだか、スーパーで客列の短いレジへ移るようなやり方で出場するのだけど、カンボジア国民は心底納得出来るのだろうか。猫君を声援できるのだろうか。トンビならぬ猫に油揚げさらわれたような気分になる、カンボジア国民はいないのだろうか。
彼の国の国民は人がよさそうだからなー。
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〝オリンピックは参加することに意義がある〟からといって、「その手で来たか」というような手段で参加しても意義があるのだろうか。大学駅伝でケニア人学生が頑張るのとは、次元が違う話だと思う。
本来、猫君が参加することに意義を見出すのは、日本国内の予選大会に出場した時ではないのか。
「敗れて悔いがなくてもあっても、参加することに意義がある」公務員ランナーの川内君のように。
彼はカンボジアを見ていない。

国籍を取得してオリンピックを目指す選手は結構いるようで、フィギアペア競技でロシア代表としてオリンピックに出場している川口悠子選手もその一人。

彼女は、猫マラソン関連のNHK・TVで「スポーツに国境はありませんから」と答えていたが、このコメントも、うなずけない。国境がない?。少なくとも「オリンピックには国籍があります(それを越えないと出場できない)から、私は国境を越えた」と言うのが正しいと思う。
猫君は、「日本では出番がないから」というのが正しい。


ドナルド・キーンさんは、筋金入りの日本国籍を取得。
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日本文学者のドナルド・キーンさん(89)が8日、日本国籍を取得し、記者会見した。約40年間、研究・著作活動で米国と日本を行き来し、日本の永住権も取得していたが、東日本大震災後、多くの外国人が日本を離れたと知って「私は日本に行き、ずっといる。(日本を)信じます、と知らせたかった」と話した。

キーンさんは1974年から東京都北区に暮らし、同区の宣伝役「アンバサダー」を務める。戸籍名は「キーン ドナルド」、通称で「鬼怒鳴門(キーンドナルド)」という漢字名も使う。栃木県の鬼怒川と、徳島県の鳴門からとった。

なぜか、お礼を言いたくなってしまう。
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by ikuohasegawa | 2012-03-27 05:50 | 重箱の隅をつつく | Comments(0)

2-772) 例える

メッセージを伝える時、そのメッセージに加えて比喩を使うと分かりやすくなる。関係性の説明などでは、「AとBの関係はCとDの関係のようなものだ」と伝えることで、分かりやすい説明になる。

それでは
野田佳彦首相は24日の都内での講演で、TPP交渉参加を検討している日本の立場を、英人気ロックバンドのメンバーに例えて説明、政府の方針に理解を求めた。
 「環太平洋連携協定(TPP)はビートルズだ」。

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「TPPはビートルズだ」というのは、意外性という意味で〝つかみ〟としては満点。
その後で「なるほど!」と思わせれば、うける。名演説になる可能性を秘めている。

展開に期待が高まる。

首相は「日本はポール・マッカートニーだ。ポールのいないビートルズはあり得ない」と強調。その上で「米国はジョン・レノンだ。この2人がきちっとハーモニーしなければいけない」と述べ、日本の交渉参加への決意を重ねて示した。 

「なんのこっちゃ」と思ってしまったら、主題のTPPはそっちのけ。意識は突っ込みに向いてしまう。
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米国はジョン・レノン?彼は英国人だろう。米国だったら、エルビスプレスリーじゃないのかい。
それに、ジョン・レノンは日本人オノヨーコがからんでからポールと仲たがいして、ビートルズは解散した。
TPPの将来を、解散まで織り込んで暗喩しているとなると、野田首相は比喩の達人なのだけど、そんなことはなさそうだ。

比喩の天才、師・赤瀬川原平のお言葉を引いて稿を閉じる、
人間だから、生きていれば何か言いたいことがある。でも論理が展開できない。頭の知識はカラだ。すると言いたいことが頭というより体からじかに、ものを伝わって出てくる。「それはたとえば・・・・」となってくるのが比喩である。論理ではなく、現物から現物への、一種の物々交換。
(比喩は稲妻である)
 

上質の比喩はこの境地から誕生する。
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by ikuohasegawa | 2012-03-26 05:57 | 重箱の隅をつつく | Comments(0)

2-771) ドクダンジョウ

「有難う。今回は〇〇さんのドクダンジョウだったね」
一人のメンバーがアレコレ頑張ってくれたお蔭で、行事が成功裏に終わった時に言いそうである。
漢字で書くと〝独断場〟では無く〝独壇場〟

さっきまで、そう思っていたけど、全く間違っていた。
正しくは壇 では無く 
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独擅場と書くのが正しい。加えて、読むならドクセンジョウと読むのが正しいことを知った。
擅場という熟語はあっても独擅という熟語は無い。どうなっているのだろう。

独断という言葉もあるし、壇という漢字もある。そんなことから、いつの間にか独壇場が広まった。一人舞台などというと壇の方が納まりがよいからなー。

似たような展開なのが「ケンケンガクガク」
 「カンカンガクガク」か「ケンケンガクガク」か
「カンカンガクガク(侃侃諤諤)」が正しい。「ケンケンガクガク(喧喧諤諤)」は,「カンカンガクガク」と「ケンケンゴウゴウ(喧喧囂囂)」とが混同して用いられた語であり,いわゆるコンタミネーション(意味や語形が似ている二つの単語または句が交差して,新しい単語または句ができること。)である。一般的にはかなり用いられているが,国語辞典や用字用語辞典などでは,まだ見出し語に取り上げられていない。現時点では,誤用といえよう。
 

本見出しに独壇場を採用している辞書もあるようなので、「・・・・独壇場・・・・・」と言う人がいてもいても、誤りであるなどと指摘しないがよい。また覚えたからといって「彼のドクセンジョウである」なんて言わないがよい。

逆に「コンタミネーションしている」と言われるのが関の山だ。
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by ikuohasegawa | 2012-03-25 05:00 | 言葉 | Comments(0)

2-770) にっちも さっちも

どう考えても、どう工夫しても行き詰って、もうどうにも出来ない時に使う「にっちも さっちもいかない」
〝にっちもさっちも〟とは何だ。
そもそも 「にっち」とは「二進(にしん)」、 「さっち」とは「三進(さんしん)」の音が変化した語。
算盤(そろばん)の割算の九九の「二進一十(にしんいんじゅう)」「三進一十(さんしんいんじゅう)」から出た語。これらは、それぞれ二を二で割ると割切れて商一が立つこと、三を三で割ると割切れて商一 であることを表していている。
そこから 2でも3でも割れ切れないことを 「二進も三進も行かない」というようになり 次第に計算が合わなことを意味するようになった。さらに 商売が金銭面でうまくいかないことの意味になり、身動きが取れない意味へと変化した。
 
インドには3桁の掛け算の九九があることを聞いて驚いたが、日本には割り算の九九があったのだ。
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あるのだから、どんどん教えたら良い。
このところ、ゆとり教育を止める動きが出ているが、〝小学生がゆとりこいちゃってどうする〟とは思っていた。土曜日休みなんてサラリーマンじゃないのだから。その日に、割り算の九九覚えろ!ぐらいのものだ。
おじさんの時代も教わりはしなかったが、もう卒業しちゃって365連休だからもう手遅れである。

まてよ、〝行き詰って、どうにも出来ない時に使う「にっちも さっちもいかない」〟って書いたけど、おじさん同士の会話でも使うことは、ほとんど無い。
最近は、極限まで努力するとか、どうにもならない所まで突き詰めて生きるなんてことはないからなー。
そこそこで、折り合いをつけているから、いつでも 「にっちもさっちも いっちゃう」訳よ。

それでもこの間、なんかのはずみで口をついて出たので、忘れないように「にっちもさっちも ッてなんじゃい」と呟いておいたので、本日のネタになった。



「わっちもサッチモ です」 って言ってます。
 


ちなみに、サッチモはサッチェル・マウス(satchel mouth)の略で、「鞄のような大口」だそうです。
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by ikuohasegawa | 2012-03-24 05:08 | 言葉 | Comments(0)

2-769) 連帯と孤立

吉本隆明氏が亡くなった。
文学、思想、宗教を深く掘り下げ、戦後の思想に大きな影響を与え続けた評論家で詩人の吉本隆明(よしもと・たかあき)氏が16日午前2時13分、肺炎のため東京都文京区の日本医科大付属病院で死去した。87歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。 喪主は長女多子(さわこ、漫画家ハルノ宵子=よいこ)さん。次女は作家よしもとばななさん。

結果的に言うと、私にはそれほど大きな思想的影響を与えはしなかったが、よしもとばななさんの父君であること以上の存在ではあった。

訃報に接したとき「連帯を求めて孤立を恐れず」というフレーズを思い浮かべたが、氏の言葉ではなかった。
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これは、1969年1月、東大の安田講堂に立てこもった全共闘の学生が壁に書き残して有名になったが、谷川雁氏の文章のようだ。
「連帯を求めて孤立を恐れず」・・・自分が正しいと思っていることを貫こうとすると、周囲から孤立してしまう。しかし、きっと自分と同じように考えている人達がいる。孤立していても、そういう人達と心がつながっているのだ。 というような気持らしい。
「孤立を恐れず」ということは、本当は孤立を恐れているのだ。恐れているから、こういう言葉で自らを鼓舞していたのだろう。
あの時代には結構流行ったし、私もご多分にもれずノートの端などに書いたりしていた。

正直言うと、当時、私は意味するところがよく分からなかった。
語順どおり意を探ると『連帯を求める余り強引な手法をとってしまい、孤立してしまうこともあるが孤立することを恐れてはいけない、孤立しても連帯を求めよ』 なんだか、自己矛盾的な標語になってしまう。それでも連帯・孤立という単語に共感?していたのだろう。

それはさておき、最近は「孤立を求め連帯を恐れる」である。

連帯なんて面倒くさい。家族以外とはずーっと孤立していて、時々顔合わせるくらいが丁度良いと思う。群れるのは時々でよい。まして先頭に立って音頭を取るなんてことはお断りだ。

荷物なんぞは何も無いという簡素な生活に憧れながらも、日々、物は増えていく。だから、せめて人間関係だけでも簡素?でありたいと思うのよ。

あまり深読みしないでいただきたい。人間関係と言ったって、付き合いのことだから。
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by ikuohasegawa | 2012-03-23 05:00 | 言葉 | Comments(0)

2-768)祝・柳家権太楼

 柳家権太楼師匠 芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
同時受賞の由紀さおりに隠されてしまい、余り報道されない。
由紀さおりも目出度いけれど、『由紀さおり 等 』の、等に権太楼師匠をまとめてしまう日本の報道は偏っている。偏向を正せ!
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しょうがないので、身内の落語協会HP。
柳家権太楼 芸術選奨文部科学大臣賞受賞
3月13日、文化庁は第62回平成23年度芸術選奨を発表しました。文部科学大臣賞「大衆芸能部門」で柳家権太楼が受賞しました。授与式は19日に都内で行われます。
当協会所属としては六代目三遊亭圓生、八代目林家正蔵、古今亭志ん朝、柳家小三治に続いて5人目の受賞となりました。

歴代受賞者の顔ぶれが、凄い。六代目三遊亭圓生、八代目林家正蔵、古今亭志ん朝、柳家小三治だからね。この名人達に、そして兄弟子小三冶に連なる我が権太楼。私は本当に嬉しい。
念のため、八代目林家正蔵というのは あのこぶ平では無い。とんでもない。

続いて主催者・文化庁
落語家・柳家権太楼氏は、柳家の太い柱である滑稽噺を軸に、人情噺まで幅広い芸風を開拓してきた。近年は池袋演芸場に於ける「日曜朝のおさらい会」を中心に演目を研磨鍛錬、その成果は毎年晩秋の上野・鈴本演芸場、年数回に及ぶ横浜にぎわい座での「柳家権太楼独演会」などに顕著である。得意演目とも言える「代書屋」「井戸の茶碗」「笠碁」「くしゃみ講釈」「火焔太鼓」なども、その時々に応じての臨機応変のマクラで、新たなる光を当てて口演。さらに、多くの演者が挑み続ける「芝浜」では、“権太楼の芝浜”とまで言われる境地を切り開いた。その実りある成果に対しての評価である。

私は横浜にぎわい座での「柳家権太楼独演会」を、毎回欠かさず聞いているが、そりゃー顕著なのよ、顕著。
4月15日の、にぎわい座が楽しみである。この日のマクラは聞き物だぞ。

BSプレミアム(NHK)の画像だから、何時まで見られるかは分からないが、削除されるまでお楽しみください。せめて、マクラだけでも・・・・。福山雅治君が出てくるまで聞いて欲しい。



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by ikuohasegawa | 2012-03-22 05:01 | 待ってました!権太楼師匠 | Comments(0)

2-767) インフルエンザを希望する

一昨日から風邪気味で、鼻水を垂れ流し常態。
都度つどボックスからティッシュペーパーを引き出していたが、我が分泌物であり無色だし、度々なので次第に汚いと思わなくなった。どんどん出るから、常に新鮮なのよ。
それで、今は使用済みのペーパーを手元に残して再々利用している。湿っているが無色無臭だし、何より途切れなく続くのでねー。

Chiは「嫌だ。止めて」と言うが、私の父の友人のSB山さんは、しばしば来宅していたが、折った新聞紙を取り出して、それで繰り返し鼻をかんでいた。昭和30年代のことだけど。
それと比べるとティッシュペーパーになった分、上品で良いじゃないか。
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それにしてもよく出る。500ml 1本以上は出ていると思う。

で、鼻水って何?
身体の老廃物であることは間違いないと思う。
しかし、口から取り入れて下方から出る分には分かり易いが、鼻は分かりにくい。
余分な水分は老廃物と共に「小水」として放出されるし、汗というのも分かる。しかし、鼻は口より上にあって、チョッと粘り気もあるので単なる水分とは考えられない。そうすると「鼻水」はいったい何なのだ?

調べた。
鼻水は鼻腺という穴から分泌される粘液と「涙のう」から出る涙。そして、呼吸している空気に含まれる水蒸気、この三つから作られている。それらはウイルスを排除しようとする刺激が脳の分泌・血管運動中枢に伝わると、「粘液を分泌しろ」という指令が鼻腺や杯細胞に出され、「鼻水」として鼻から出すのです。

涙が混じっているというのは体験的に納得できる。子供の頃を思い浮かべると、大泣きした時は必ず鼻水を垂らしながら泣いていた。間違いない。
また、空気に含まれる水蒸気という件(くだり)で、湿度50%の部屋なら部屋の半分が水没している間違ったイメージが浮かんだ。それを原料にしていると思うくらい、鼻水が出るのよ。

ということで「鼻水」はウィルスから粘膜を守ってくれる大切なモノなのなのだと理解した。
ウイルスから?じゃあ、私は風邪ではなくて、インフルエンザ?それとも花粉症?
だったら、継続性の無いインフルエンザを希望する。
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by ikuohasegawa | 2012-03-20 06:55 | 繰り言 (くりごと) | Comments(0)