もう一つある乗車関連の犯罪用語 「キセル」の由来は、煙管の火皿と吸い口が金属でありそれをつなぐ羅宇は竹であるところからきている。端と端だけが金(かね)という事だ。こちらはまだ死語ではないように思う。ただ乗りは駕篭や馬でも出来るがキセルは汽車や電車が無いとできぬので、近世になってから誕生した俗語だろう。
たまたま出くわして 「よう、よう 」だけで別の席にいた旧知の人が、こちらの宴席へなだれ込んできた。かなりの時間差があるので酔度も大きな差がある。
帰属する宴がお開きになったら帰ればよいのにと思いながらも、無碍にも出来ないので「元気そうで」とか言うと「苦労してるんだよ。九郎判官義経」とのたまう。こちらは苦労=クロウ=クロウ判官義経である。
義経のファンになったのか、余程お気に入りのフレーズなのか、本当に苦労しているのか知らないけど、1時間くらいの間に「九郎判官義経」が、四度も五度も口をついて出た。最近覚えたのだろうけど、そんなのはもうとっくに死語になっており博物館か歌舞伎座でしか通用しない。
酔人相手では「女房は、静かにしろ静御前」と言っても通じない。
そうこうしているうちにチョッと白けてしまい、こちらの宴もお開きになった。メンバーは三々五々いつもより早足で散っていって、とり残されたのは九郎判官義経殿に腕をつかまれた私だけ。
その後、近くのショットバーで小一時間お相手をしたという年末のひとコマを思い出しただけのこと。
勿論、その間も死語「九郎判官義経」は度々登場したさ。
「苦笑い」も「思い出し笑い」もあるので 「思い出し苦笑い」という新しい言い回しが今回誕生した。