爽やかな7月の軽井沢だと言っていたら、翌日の晩、「明朝の遅霜が心配だ」と天気予報。
15日、夜が明けたらデッキはこんな光景。
遅霜というから霜と書いたものの、これは雪だ。
気温や気候が日によってクルクル変わるのを喩えるのには適切ではないかもしれぬが、目まぐるしく変わる様を喩えて『猫の目のようだ』と言う。
これは猫の瞳孔が明るさによって頻繁に開いたり閉じたりすることに由来するそうだ。
成人してからは猫を飼っていないので観察したことは無いが、多分そうなのだろう。しかし、分かりやすい喩えでは無いように思う。猫の瞳孔が頻繁に変化することをどれだけの人が知っているだろう。
Chiに確認したら「猫ジャラシを追いかける目の動き」を連想したと言う。ちょっと違うね。それはキョロキョロじゃないの。皆さんだって慣用的に使っているだけで、実感を伴ってはいないような気がする喩えだ。飼い猫をつかまえ懐中電灯で照らして、瞳孔の拡縮を観察しなくては実感できない。
もっと実感的に分かりやすい喩えがある。
『民主党幹部の発言のように』と喩えるとコロコロ変わる発言が思い浮かび、分かりやすい。
基地問題しかり、金銭疑惑しかり、マニフェストしかり、最近では消費税問題。そしていよいよ約束の期日が迫ってきた基地問題。さらに高速料金無料化は何処へいった。
猫の目を話題にする時『民主党幹部の発言のように変わる』と喩えると、猫の目がその時その時で変わることがよく分かる。猫が迷惑がるかもしれないけど。