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2-344) TUTAYA&蔦屋書店と蔦屋

文庫本以外の本の購入は日販のオンライン書店ブープル  がほとんどなので本屋が減っても困りはしない。しかし、現物を本屋で見てから買いたいという時がある。それも横浜にいれば有隣堂・丸善・紀伊国屋など大手の店舗が有るので不自由はない。
しかし、街の書店がどんどん減少している地方ではこの現象がもっと進んでいて困ることがある。

1年の三分の一近くを過ごす信州では平安堂というローカルチェーンが頑張っているが品揃えに満足できない。信州で満足できるのは蔦屋書店。大型全国チェーン店のお世話になっている。
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本屋の蔦屋書店とDVDレンタルのTUTAYAが同根だとは知っていたが、何故ツタヤ?という小さな疑問はそのままにしていた。

過日、知人が行ったサントリー美術館の話題で、その疑問が解けた。
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蔦屋書店とTUTAYAの店名は現代の『蔦屋』を目指しての命名だった。

元祖蔦屋&蔦屋重三郎とは?
時代の嗜好を適切に読み取る企画力に優れ、さらに大田南畝(蜀山人)、山東京伝ら一流の狂歌師、戯作者の協力を得て、草双紙、絵本、狂歌本類の名作を次々と出版。錦絵の版行にも意欲をみせた。
新人発掘の名人で、曲亭馬琴、十返舎一九のほか、美人画の喜多川歌麿、役者絵の東洲斎写楽など多くの逸材を世に送り出している。




蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)(1750―97)

江戸後期の江戸の出版業者。本姓は喜多川、名は珂理(からまる)、重三郎は通称で、狂歌名を蔦唐丸(つたからまる)といい、屋号を蔦屋、耕書堂といった。商標は富士山形に蔦の葉。

安永年間(1772~81)の初めころ吉原大門口で細見屋を開業。
天明3年(1783)地本問屋(じほんといや)となる。時代の嗜好を適切に読み取る企画力に優れ、さらに大田南畝(蜀山人)、山東京伝ら一流の狂歌師、戯作者の協力を得て、草双紙、絵本、狂歌本類の名作を次々と出版。かたわら錦絵の版行にも意欲をみせた。

新人発掘の名人で、曲亭馬琴、十返舎一九のほか、美人画の喜多川歌麿、役者絵の東洲斎写楽など多くの逸材を世に送り出している。
寛政3年(1792)山東京伝の洒落本を出版した科で身代半減の刑を受けており、幕府が出版統制の見せしめとして槍玉にあげるほど、江戸一流の版元として実績を残した。没後番頭の勇助が2代目を継ぎ、明治初めの5代目まで続いた。
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by ikuohasegawa | 2010-11-24 06:52 | 繰り言 (くりごと) | Comments(0)
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