さて、野田総理の引用した「君子豹変す」
「君子豹変す」 を 私はマイナスイメージで認識していたから、『 ? 誤用 ?』と思った。
君子は、聖人君子という熟語があるように「学識、人格共に優れた徳の高い人」という意味だ。言い換えれば、社会的な地位が高く教養豊かな紳士、といったところか。また、豹変は、態度、意見などががらりと変わること。
そういう二つの語から成り立つ「君子豹変」は、立派な人が機をみて態度や考えを安易に変える、あるいは、突然、本性を現して恐ろしい人物に一変する、という否定的な意味だと思っていた。
『 ? 』を解明すべく調べた。
新明解はこう記している。
ひょうへん【豹変】〔態度意見などが〕がらりと変わること。〔もとは良い方に変わることを言った。〕「君子は・・す」
「もとは良い方に?おや?」
更に調べると『易経』の「君子は豹変す。小人は面を革(あらた)む」に由来し、豹の毛が季節の変わり目に抜け替わって斑紋も鮮やかに美しくなるように、徳のある君子はすばやくはっきりと誤りを正すが、徳のない人は外面だけを改める、という事とある。
つまり、本来は、過ちを改めることを評価する肯定的な意味だったのだ。別の格言で言えば、「過ちては改むるに憚ること勿れ」と相通じるものがある。
「君子豹変すというが、あの男の変わり身の早さには呆れるよ」というような使い方は誤用が定着したもので、今では全くの誤りとは言い切れないが、本来の意味ではないことになる。
とすると野田総理は誤っていないことになるが、それでも、私は君子ではないので豹変しない。
その理由は、
「君子豹変す」を使うと、「すばやくはっきりと誤りを正す」ことになる。豹変する為には、誤っていることが前提になる、それなら野田総理はまず、どこが誤っていたのかを明らかにして国民に詫びるべきである。それが君子たる者のとるべき行動であろう。
また野田総理の「君子豹変す」に続くのは『という立場で行革にも臨む決意だ。』ということなので、誤っていたのは行革だと言うことになる。しからば豹変を期待する。