言葉

2-751) 言う と いう

こんな書き散らしているだけの文章でも、途中で悩むことがある。
思いつきを記しているだけだから、テーマの妥当性、論立ての整合性というような本質的な事ではなく、些細なことで悩んでしまう。

例えば「おいておく」をどう書くか?
具体的・実質的な意味が乏しい動詞については、ひらがなで書く傾向があるそうだ。つまり、 「置いて置く」でも 「おいて置く」でもなく「置いておく」の方がより一般的であるという

今使った「いう」は、漢字で「言う」と書くのか、ひらがなで「いう」と書くのか?
これは「いう」に実質的な意味があるのかどうか、という点から判断することになる。この場合は、「いう」でOK。

それでは、「龍角散という のど薬」の場合の「という」は?。
別に龍角散でなくてもよいが、後の展開の都合もあるので・・・。
2-751)   言う と いう_d0092767_12172012.jpg

これは口に出して「龍角散」と言っている(語る・しゃべる)訳ではないから、この場合の「いう」は実質的な意味はない。従って、ひらがなで書くのがよさそうだ。
「いう」と「言う」の使い分けで、特に難しいと思うのは、「といえば」の形。

「ゴホンといえば龍角散」の場合は、「ゴホン」と口に出して言っているのではないから「いえば」を使うことになる。しかし、「龍角散といえば有名な のどの薬だ」の場合。「龍角散」という言葉が、話の流れでたまたま口をついて出た。そこで思い出したのだけれど、それは有名だ……、という状況であれば、「と言えば」と書いてもおかしくないような気がする。

と、一定の方針めいたことを決めても、実際の文章を見ると、どうも落ち着かないことが多い。
「いう」と「言う」の使い分けについて悩み出すと、キリがない。その時の気分で適当に使う程度でよいと思うのだが、「いう」という文字面を見ると気分が揺らぐのよ。
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by ikuohasegawa | 2012-03-06 04:41 | 言葉 | Comments(0)

十や十五連休なんて目ではない。三百六十五連休が始まった私。


by ikuohasegawa