それに引き換え、野田首相の式辞は国民の心中とは隔絶した官僚の論理を並べたものであった。
先の追悼式で確信させられたのは、天皇陛下は国民の代表であったが、野田佳彦は官僚の代表であって国民の代表ではなかったこと。
天皇陛下のお言葉の中には、救助活動で命を落とした消防団員への慰霊があった。
ボランティアを慰労して讃える言葉もあった。
原発の作業員にも言葉を向けた。
外国の元首や人々からの見舞いに対する、丁寧で心のこもった謝礼もあった。
それらは、国民が代表者に述べてもらいたいと思う心情であった。
天皇陛下のお言葉
野田首相の無味乾燥な式辞には、それらの言葉が一つも無い。
野田首相の式辞は官僚の作文であった。
官僚の目には、放射能で苦しむ被災者もなければ、ボランティアも消防団員もなく、人が感じられない。この大災害の被害者に対する〝思い〟が、そもそもないのだと言わざるをえない。それを読み上げただけなのだ。
こんなことも聞こえてきた。
野田首相は12日の参院予算委員会で、11日の政府主催の東日本大震災追悼式で、台湾からの震災義援金は、官民合わせて約200億円と世界トップクラスだったにもかかわらず、台湾代表羅氏に献花の機会がなかったことについて、「本当に申し訳ない。行き届いていなかったことを深く反省したい」と陳謝した。
自民党の世耕氏によると、政府は約160の国と国際機関の代表に会場1階に来賓席を用意したが、羅氏は「民間機関代表」と位置付け、2階の企業関係者などの一般席に案内。指名献花からも外し、羅氏は一般参加者と献花したという。
また、世耕氏は、追悼式で、天皇、皇后両陛下がご退席になる際、場内が着席していたとして、「どこの国でも全員起立するものだ」と批判。藤村官房長官は「(議事進行は)事務方で詰めてきたものを直前に聞いた。おわびするしかない」と謝った。