なんとなくではあるが、100%肯定ではないような気がする。
また「うがった見方をすると」などと 自説を展開するときの前置きに用いることもあるが、この場合も肯定ではないというか、幾らか斜に構えたというか、視点を変えたところからの意見のように感じる。
「君とは少し違った視点から、うがった見方をするとね・・・」とかは言いそうである。
「うがった」は「うがつ」という動詞で、漢字を当てれば「穿つ」
新明解によれば
本来「雨だれ石をうがつ」の「穿つ」であり、穴を開けるという意味である。それが転じて、人情の機微に巧みに触れる、物事の本質を的確に表現するという意味。
えっ、これでは100%肯定ではないか。
確かに「雨だれ石をうがつ」と言ったら、そのあとは「こつこつ努力すればなにごとも・・・・・」となる。
「雨だれ石をうがつ」「ポタポタやってるんじゃない」などと言葉を継ぐことはない。ギャグ以外にはない。
「うがった」はプラス評価として使われる語なのである。
「うがった見方をすると私は・・・」は「物事の本質を的確に表現すると、私は・・・」ということになる。偉そうなことを言ってはいけない。
つまり自説を展開するときの前置きに用いるのは誤りで、相手の意見をプラスに評価して「うがった見方だね」などと言うのは正しいことになる。
ただし「うがった見方だね」と褒めても、相手が褒められたと受け取るかどうかは分からない。