言葉

3-130) うがった見方

 相手の意見に対し「うがった見方をするねー」などと言った場合、相手の意見に対して肯定的なスタンスなのかそれとも否定的なのだろうか。
 なんとなくではあるが、100%肯定ではないような気がする。

 また「うがった見方をすると」などと 自説を展開するときの前置きに用いることもあるが、この場合も肯定ではないというか、幾らか斜に構えたというか、視点を変えたところからの意見のように感じる。
 「君とは少し違った視点から、うがった見方をするとね・・・」とかは言いそうである。
 
 「うがった」は「うがつ」という動詞で、漢字を当てれば「穿つ」
3-130) うがった見方_d0092767_557758.jpg

 
 新明解によれば
 本来「雨だれ石をうがつ」の「穿つ」であり、穴を開けるという意味である。それが転じて、人情の機微に巧みに触れる、物事の本質を的確に表現するという意味。

 えっ、これでは100%肯定ではないか。
 
 確かに「雨だれ石をうがつ」と言ったら、そのあとは「こつこつ努力すればなにごとも・・・・・」となる。
 「雨だれ石をうがつ」「ポタポタやってるんじゃない」などと言葉を継ぐことはない。ギャグ以外にはない。
 「うがった」はプラス評価として使われる語なのである。

 「うがった見方をすると私は・・・」は「物事の本質を的確に表現すると、私は・・・」ということになる。偉そうなことを言ってはいけない。

 つまり自説を展開するときの前置きに用いるのは誤りで、相手の意見をプラスに評価して「うがった見方だね」などと言うのは正しいことになる。
 ただし「うがった見方だね」と褒めても、相手が褒められたと受け取るかどうかは分からない。
 
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by ikuohasegawa | 2013-04-21 06:21 | 言葉 | Comments(0)

十や十五連休なんて目ではない。三百六十五連休が始まった私。


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