“ 本○○○ ” があって、それに似ているから “ 犬○○○ ”と 命名している。だから似ていて当然だけれど、この夏、大量の犬山椒を佃煮にまで仕上げて、香りが全くしない異なモノを作ってしまった。
そこまでの努力は むだに終わった。“ 犬働き ” とでも言うのだろうか。
犬山椒のほかにも印材にならない犬柘植。麦に対してイヌムギ、稗に対してイヌビエ、そしてイヌホオズキ、イヌタデ、イヌハッカ、と名付けられた植物があることを知った。
言葉の分野でも 、幕府の犬、犬侍、犬死など、“ 犬 ” には良いイメージは無い。なんだか、犬と飼い主が可愛そうになる。
新明解( 第四版 )の語釈は極め付きである。
【いぬ】の後半の2の②
【〔主人や主家の家族によく懐き、時に生命を保護してくれるという意味では有用だが、牛馬に比べてからだも小さく生産性も少ないと見られたり、人目をはばからず○○※をしたりする所から〕「役に立たない」「恥を知らない」という意を表す。】
※ 新明解は○○ではなく KO・U・BI の漢字。
「恥を知らない」の意味付けをしたかったのだろうが・・・・どうやら 山田忠雄先生は犬がお嫌いのようである。
もはや戦後ではない。そんなもの見るわけがない。
犬は飼っていないし犬山椒に騙された身ではあるが、そこまで言わなくてもという気がする。犬と飼い主が可愛そうになってしまう。
第六版はどうなっているだろう。横浜へ帰ったら見てみよう。
こちらは暑いです。風少々吹いてきました。
そんな連中が犬に劣等感を持って使う言葉ではなかろうか。
少なくともわがサンチはいなくてはならない存在です。
あのー、別に、私が申しているのではありません。誤解のないようにねがいます。私は紛れもなく犬派です。
PCでなくとも、細かな字の新明解だって目には良くないよ。今日は此処まで。コメントも今日は読んではいけない。