新明解第二版をひらくと
あう【合う】:①そこで一つになる②基準と同じ状態だ・・・・
あう【会う】:①ある場所で人と一緒になり、互いに、顔を見合う②偶然に会う。出会う。
そりゃー会えば顔をあわすし顔はみるけれど、〝顔を見合う〟まで言うと強度の近眼者の面会か、男と女の出会いが浮かんできてしまうのは私だけだろうか。
さすがに第六版になると〝顔を見合う〟は消されて
あう【会う】:①ある場所を決めて(偶然に)人と一緒になり、互いに相手を認めたり、話をしたりなどする。となっている。
大修館漢語新辞典の使い分けは以下のとおり
難に遭うのが遭難だから、好ましくない出会いの場合は『遭う』を使うのだろう。
例えば、冬の日のゴルフコンペに参加し雪交じりの雨に降られた時などに「とんでもない目に遭った」と使う。
20日のことですけど。
午前中のハーフは曇りで無風、寒く無かった。昼食時から雨が降り始め、後半をスタートしたら急激に気温が下がった。寒い。このまま続ければ、このところ思わしくない腰が悪化する。
何とかなるだろう、もう少しと続けてクラブハウスから離れた地点で離脱する、と雨中を帰る距離が増える。1番で打ち出して行き、2番は折り返してくるレイアウトだったので、クラブハウスが近い。
離脱するならここだ。と判断し、アウトコース2番を終えた時点で離脱した。
我ながら、潔い決断であった。百条委員会を持ち出されるまで意地汚く都知事職にしがみつこうとしていた猪瀬とは大違いである。
で、そのあと2時間、私は無人の風呂に入り、サウナを独占使用。ゆっくり身体を温めたあと暖かいロビーのソファーでマイクル・コナリーを読み、充実した静かなひと時を満喫した。『エンジェルズ・フライト(下)』読了。 あれ、とんでもない目に遭って無いように読めてしまうなー。
『あう』は、ほかに遇う、逢うも使う。
新明解に【逢瀬】:恋愛関係にある男女が人目を忍んで合う時(機会)はあるが、【逢う】は無い。
漢語新辞典の【逢】に合うという語釈はあるが恋愛・男女という要素は皆無である。とは言え、60過ぎのオジサン友人にあうときは【逢う】は使えないような気がする。
悪天候のゴルフ、途中離脱または中止にして広い風呂に入る。
昼から熱燗をやる。
最高の贅沢だと思います。ようするにゴルフはあまり好きじゃないのかも。