大通りから一本内へ入った通りのマンションの一階。
野毛時代は飲食と販売の2店舗展開だったが、移転してテイクアウトの窓を設けた店舗になっている。
「お寒かったでしょう」と愛想よく向かえられ、鰻重の特松と肝焼きを注文。
先客の男女カップルが焼酎のボトルで水割りをガンガン。飲み過ぎた日の話で盛り上がっているのを横目で見て、燗酒を、という気が失せた。
私等は持参の文庫本を読みつつ、静かに焼き上がりを待って肝焼きを食す。
遅れて鰻重、二千八百円也。入店から40分。
無駄な焦げ目が無い。
期待が高まる。美しい焼き上がりだ。
と、思ったけれど、ウゥーン、タレが甘い。そんなことより焼きが甘い。
熱々ではない。タレにつけてからの、ひと焼きが感じられない。香ばしくないのだ。〝無駄な焦げ目が無い〟のではなくて、タレにつけてから焼いていないぞ、これは。 蒲焼きならぬ鰻の蒲蒸しだ。
普通は白焼きしてから蒸して、タレにつけ再び焼く。そのとき香ばしさが生まれるのだが、技量がないと焼け焦げる。
武士の情けで店名は記さぬが、こうななってしまう。
ところが、江戸っ子の蒲焼は肝心な最後の焼きをしていない。
思うに、ここまでで止めておき注文時に仕上げで焼く、というのはテイクアウト用のテクニックだろう。私はイートイン。店内の客だぜ。最後の焼きは温めると共に香ばしさを出す為の焼きなのだ。
さらに、蒸しあげてタレにつけるだけなら熱々でなくなるのは当然。加えてご飯もぬるい。
焼きを省いているのだから、美しい焼き上がりだと書いたのを取り消す。
手持ちの写真と比べれば一目瞭然。
これまでに食した蒲焼で最も美しい焼き上がりは、横浜 野田岩。
無駄な焦げ目がなく、均等に焼き目が付いている。写真を見ているだけでも香ばしい。
江戸っ子!
焦げてもよいから焼きなさい。焦げているのは普通だからね。
それから〝熱いご飯〟というのは技量や修行や年季と関係なく、その気があればできることだ。
また行くと、指導をしてしまいそうなので、もう・・・・。
花咲町の店では、鰻や肝を売っているガラスケースの隣に鰻が入ったプラスティックの丸い入れ物が高く積み上げられ、職人がどんどん鰻をさばいておりました。
日雇いと思われる人が、鰻の頭の串を一本10円を買っていくんだと紀聞いた記憶もあります。
がんこもののおじいさんが亡くなったのが数十年前、そのあたりからタレの味が一定しなかったり、鰻に小骨があることが増えていきました。
それでも、買い食べ続けていましたが。
そして耐震問題や鰻高騰などから最近の移転でいままでいた職人さんもいなくなり家族経営となったそうです。
残念ですが、一度食べ、もうここで買うのはやめようとなりました。
「江戸っ子商店」の濃いタレの鰻に「梅や」の固いつくね、よく食べました。
でもうまそう!