言葉

3-446) 頁はページなのだけど

今日も雨が降っている。台風11号はどうなったのだろう。

さて、
本の1枚の紙の片面を1ページと数える。漢字で書くと頁。
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coffeeをコーヒーと読み、漢字・珈琲を当てたのは察しがつく。音が似ているのだろう。
しかし、page をページと読むのは解るが『頁』はよく解らない。

『頁』は 頂 · 頭 などの部首 おおがい であり、他にも 頃 · 項 · 順 · 須 · 頓 · 頑 · 預 · 領 · 頚 · 頬 ··頼 · ・・・・。

漢語新辞典の【 頁 】には、ケツとは別にヨウという音読みも挙がっていて、=葉。とある。
また、この稿とは関係ないが、ヨウ の下に(エフ)とあるが荷札のエフと関連があるのかも。
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新明解の【ページ】には、表記:漢字で「」と書くのは、「葉」と同音なので借り用いた故という。

確かに・・・と言うと偉そうだが、確かに紙を数える単位として『葉』を用いることがある。
それと音読みを同じくするというところから『頁』に転じて、『頁』をページの意味で使うようになったようだ。おそらく中国でのことだろう。

漢字の頁はページ以外に使われることはほとんどない。唯一、広辞苑に けつ‐がん【頁岩】粘土が堆積固結した堆積岩。 という項があるのみ。 
読みも意味もページ。ページを表す記号といってもよいだろう。

和本の場合は、これを「丁付(ちょうづけ)」と言う。 
オーソドックスな袋綴じ本の場合、本文紙はいわゆる2ページで1枚。2ページ分の版木を作って摺り中央部分で山折りして本文とする。
その中央折り目部分を柱という。柱は400字詰めの原稿用紙に名残がある。
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原稿用紙といえば満寿屋。そのHPより


柱の下部に丁数が記される。
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成蹊大学文学研究科文献学共通講義Aより
 
この見開き1枚分を「一丁(いっちょう)」と数える。
中央で折れば2ページ分だが、もともと1枚だから折った状態でも「一丁」と数える。解り難いので一丁表・一丁裏と呼ぶ。略す時は、一(いち)ノ オ・ 一(いち)ノウ 。
製本の『折丁』はここから派生したのだと思う。

ここは、中野三敏著 和本のすすめ(岩波新書)にて確認したが、その中に面白い記述があった。ーーー部分。
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柱の丁付けにはしばしばごまかしがある・・・一見丁数の多い本であるように見せかける仕業のようだ・・・という。

その手口は
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一冊の途中で、・・・「十四」「十五ノ二十」「二十一」「二十二」 あるいは「二十四」「二十五ノ三十五」「三十六」「三十七」のような丁付がでてくる。

これじゃあ『時そば』じゃないか。


Commented by ikemoto04lp at 2015-07-18 06:43
「『葉』と同音なので借り用いた故という」と言っているところを見ると、新明解も伝聞としてとらえているようで、断定はしてないわけですね。
 そのまま「葉」を使って、ページと読ませればいいのでしょうが、そうするにはあまりにも「葉」の文字が一般的過ぎて、絶対にそう読まれないからでしょうね。
 その意味では、一般的にほとんど目につくことのない「頁」を当てたのは正解なのでしょうね。
 誰がそうしたのか知りませんが、必死になって字を探したことでしょうね。
Commented by ikuohasegawa at 2015-07-18 07:32
アルチュさん
そういうことです。
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by ikuohasegawa | 2015-07-18 04:45 | 言葉 | Comments(2)

十や十五連休なんて目ではない。三百六十五連休が始まった私。


by ikuohasegawa