私は開脚に90%くらい自信を持っている。
他人が開脚自慢しようものなら対抗心がムラムラ。
信州の蔦屋書店で
「どんなに体がかたい人でも
ベターッと開脚できるようになる すごい方法」
を目にしたときも対抗心がムラっと湧いた。
開脚には自信を持っているから必要の無い本なのに、敵?を知る必要があるので手に取った。
開くと感じが違う。違う、脚ではなくて本。
カバーを掛けた並製本のはずなのに本の開きがよい。オー、全面開脚だ。糸綴じ本だ。
11ページには編集者の弁。
「 開く」をとことん意識した製本・・・とある。
親しみが湧いてきた。こうなると敵ではない。同士?だ。
開脚90%の自信+製本とくれば同志である。
よし、と声に出して購入。
じっくり観察。
カバーを外すと背表紙がなく、折山と綴じ糸がむき出しになっている。
ほほー、これは林望先生が謹訳源氏物語に採用した製本だ。
先生いわく
本書は「コデックス装」という新しい造本法を採用しました。背表紙のある通常の製本形態とことなり、どのページもきれいに開いて読みやすく、平安朝から中世にかけて日本の貴族の写本に用いられた「綴葉装」という古式床しい装訂法を彷彿とさせる糸綴じの製本です。
開脚開始。
こどんどん開くと、100%開脚。
面白い、開いたねえ。面白い。
編集者のドヤ顔が浮かんでくる。顔は知らないけれど。
こういうセンスは好きだ。
と、ともに「負けた」感がする。これも対抗心だろうな。
この本自体は全面開脚したが、私の開脚90%を100%にできるか。
同士と同志
「同士」は、「身分や境遇、性質などが互いに共通している人」という意味を持つ。「いとこ同士」「似た者同士」「男同士」などのように用いる。
他方、「同志」は、「こころざしや主義・主張を同じくする人」という意味であり、「同志を募る」「同志諸君」などのように用いる。
「同士」が、属性は同じだが目指す方向は違うという場合にも使われるのに対し、「同志」は目指す方向が同じ場合にのみ使われている。したがって属性が異なる場合も「こころざしや主義・主張を同じく」していれば同志という。