数年前は毎月のように、にぎわい座に出演していた権太楼師匠も、2012年の病後、スケジュールを緩くしたようで、少し間隔が空くようになった。その後回復しても、横浜は緩んだままになっている。
今年は正月、三月、六月、九月、そして今月の五回きり。
開口一番は金原亭駒六の
道具屋
続いて権太楼師匠。九月以来だから正真正銘の「待ってました」
まくらで小倉公演での話。
酔っぱらいの二人が同じ家を自分の家だと譲らない。
「私んちはここを出て右へ行って一本二本三本目を左へ曲がった一軒二軒三軒四軒目」
「そうですか、私んちはここを出て、右へ行って一本二本三本目を左へ曲がった一軒二軒三軒四軒目」
「それは私んちですよ」といつものマクラを振ったら、おばさん四人組の客「あれね、親子なのよ」
「言うな、そんなこと。落語なんて皆知ってんだから。知っていながら知らないふりをする。それが文化というもの」
このマクラだってもう何度も聞いている。そして笑っている。
酒を飲む仕草、熊が酒に飲まれて段々いい加減、大胆になっていく様子は、いつもながら上手いものだ。
熊の相棒が酒を買いに行く店を「スヤマン」と言っていたが、千文字落語によると「『酢屋満』は、五代目小さん宅の近所にあった実在の酒屋」
ということは、権太楼の猫の災難は五代目小さん譲りということになる。
中入り後、津軽三味線の白戸知也。
幕が上がるといきなりの演奏。聞いたことのない「じょんがら節の旧節」とかで結構長い。
寄席の色物として出演するときの構成としては、難あり。
大雪で道に迷う旅人の恐怖の演目。
滑稽ものではないから人情話なのだろうが、恐い人情もあるということ。それに人情話なのに落ちがつく。
鉄砲で撃たれそうになりながらも、壊れた筏の材木にしがみつき「この大難を逃れたもご利益、一本のお材木(お題目)で助かった」というのが落ち。
この噺を聴くと私はいつも宮沢賢治の「注文の多い料理店」を思い出す。