ほぼ全冊揃っていますが、1992年から1994年に何冊か欠けがあります。その頃は心に余裕が持てなかったのでしょう。芸術新潮なんて言ってられない日があった。「○○新潮は明日発売です」 などと言われ様ものなら うるさい!と反応してしまう日々が・・・。
私にだって人生で一度ぐらいは、辛いと思う日々があったのです。
あの頃の担当職種は・・・・・・・でありました。
1960年・昭和34年。街には『南国土佐を後にして』が流れ、皇太子殿下・正田美智子さんのご成婚に沸いたあの頃のことです。私は親にかくれて、水原弘の『黒い花びら』を口ずさむ小学生でした。同級生・T木譲君の家には全集のサザエさん・暮らしの手帖・芸術新潮が揃っていた。
今思うとスゴイ家だったのだ、ブルジョア(?)だったのかT木君ちは。うまく表現できないな。ただ、金持ち・貧乏とかいうのでなく、どう言ったらいいのだ。
そう、父親が国鉄の技術者だった堅いH谷川家とは違う家風?雰囲気?の家だった。お坊ちゃん育ちの美術の先生の家って感じなんだけど・・・。
ついでですが、私がブラジャーを初めて見たのもT木君ち。T木君がふざけて、お母さんのを胸に当てた昭和30年代のあの日であります。勿論名前も用途も知らないから、何をおふざけしているのかもよく解らなかった僕でした。一般家庭にもあったのかなー。無かった前提で話を進める。
やはりT木君ちはブルジョアだ。 ブラジャーはブルジョアだ。
プロレタリア諸君、ブラジャーを捨て街へ出よう。 (古!殆んどの人は意味が解らないでしょう)
君は昭和34年に見たか?自慢じゃないが、私は昭和34年にその存在を意識したのだ。
サザエさんとブラジャーはそうでもなかったが、暮らしの手帖と芸術新潮は私にインパクトを与えた。それが好きだった。今でも・・・。ブラジャーはそうでもなかったって言ったでしょう。
小学生の私は、その家で文化に目覚め、芸術をかいま見た訳であります。以来、ずーっと、それを意識している私なのであります。
はっきり覚えています。黄金分割が表紙の芸術新潮がありました。勿論、後年になってその名を知るのですがモンドリアンであります。
この一冊はもう一度見たい。モンドリアンが表紙の芸術新潮を。
忘れてました、暮らしの手帖・故花森安冶の手書き文字も興味をひきました。
チョッと変わった小学生ですか?
そのとおり。ずーっと変わってます。お誉めいただいて恐縮です。
少年Hは、T木譲君とはクラスが違ってもズーッと仲良しでした。
芸術新潮が揃っていましたから。