昭和40年代、情報化時代の到来とともに、主に印刷メディアを通して華々しく展開したビジュアルなイメージ。赤瀬川原平、粟津潔、宇野亜喜良、木村恒久、タイガー立石、つげ義春、中村宏、横尾忠則の8名による仕事から、600点を超える多量のポスターや装丁、挿画、絵画や版画等を通して多様なイメージの数々を展覧します。
リーフレットを見たときから企画は大いに魅力的だったが 「何が夢だ『 夢 美術館』が納得できない」と行きそびれているうちに企画展そのものを忘れてしまっていた。
16日、ゴルフ帰り、運転をしながらのアルチュ氏との会話から突然思い出した。
そうだ、アレは5月17日までだ。間に合う、明日行かなきゃ 八王子 夢 美術館。
という経緯で出かけたが、実は16日は近所の中学の体育祭。自治会を代表して参加の予定であったが、朝8時半を待って中学に出向き断りを入れて八王子へ向った。
話を戻す。
当時、新宿も渋谷も、街という街は喧騒に満ち、ある面ワクワクするような刺激が溢れていた。当時その刺激を一層増幅していた印刷物が会場に溢れて刺激を振りまいている。極彩色と蛍光色が記憶を呼び覚ます。
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美術展なのに作品を読み入ってしまう。皆さん読んでいるので滞留時間が長い。
こんな文字が目を引く。 闘争・三里塚・中核・前進・官憲・解放・米帝・・・・それらは死語に近い。アサヒジャーナルは廃刊して既に17年が経過する。
作品に描かれた人名が時代を呼び起こす。
唐十郎・寺山修二・力石徹・東由多加・支那虎・李礼仙・林静一・高倉健・三島由紀夫・ニクソン・佐藤栄作・田中角栄・・・。
情念を撒き散らし、時には劣情を刺激するものであったそれら印刷物に登場する人物は押しなべて禍々しい。その禍々しさが懐かしい。
あの時私は学生だったのだ。
ここで終われば良いのに、夢美術館の『夢』の件をぶり返す。
今どきは女子中学生だって『夢・・・・・』は、照れちゃうんじゃないの。
それは『ふれあい』とネーミングした施設と似た感じを抱く。地方へ行くと溢れている、ふれあいセンター、ふれあい交流館、ふれあい直売所、デイサービスふれあい・・・・・・。日帰り温泉・ふれあいの湯 になると、「ふれあいたくない。私に触れるな!」
ダメ押しで『ふれ愛』という所も有るがそれはコソバユイ。
八王子夢美術館館長さん、毎日コソバユクないですか。
いっそのこと 八王子ふれあい美術館 というのはどう。
『当館はふれあい美術館ですが作品にはふれないで下さい』