アラカンといわれる世代はアラカンと言えば鞍馬天狗だ。『アラカン』と聞くたびに嵐寛十郎の顔が浮かんでくる。
アラフォーは認めてもアラカンはナンじゃそれという感じがしてならない。流行り言葉の二番煎じだから面白くもなんとも無い。軽薄さが漂うばかりである。
だいいち私の父は嵐寛十郎ではなく長谷川・・・一夫である。 『違うか!』
手垢まみれの『なんちゃって』は、最近 『違うか!』と変化したが、これは漫才師気分で使用することもあるが、流行り言葉は基本的に『知ってはいるが使わない』というのが大人だと思うので、用いる時はかなり慎重にしている。
『チョー〇〇』などというのは使ったことが無い。
『・・・れる』というのは『・・・られる』と正しく使う様にしている。『食べれる』ではなく『食べられる』か『食べることができる』
死に様はあっても『生き様』とは言わないと思う。
『たかが○○、されど○○』というのはもはや陳腐。
『チャリ』とか『チャリンコ』というのが自転車のことだとは知っているが自分では絶対使わない。若い母親が「うちの子のチャリ・・・・」などと言うのを聞くとドキッとする。『チャリンコ』というのは子供のスリのことではなかったか。
『ハマル』という言い廻しも流行っている。妙齢のご婦人までもが 「私今、〇〇〇にハマッテいる」とおっしゃる。
365連休開始当初、あまりの自由さに暇を持て余すのでは無いかと思った。その時期に応募して本の修理講座に通った。本の修理は私にピッタリと納まった。
破損の状態を見極め、修理方法を決める。時には工夫して修理を施す。なぜか性に合った。ボランティアにもなる。これが『ハマル』ということだろうと合点した。
漢字を当てるなら【填まる】だ。【陥る】や【嵌る】は穴か策略にはまってしまうような字面だ。【填まる】ならピッタリと納まるという感じがする。木組みのホゾが填まる時にも使う。
私は本の修理に填まったが、「今、はまっている」という言い方は納得できない。
今ハマッテイル? 落とし穴に陥ってSOSを発信している訳では無かろう。
子供は水溜まりにハマッタリ出たりするが、物事にハマルという時はハマッタリ抜けたりはない。今だけというのは『はまる』とは言わない。それは気まぐれだ。
その気まぐれであることを自覚しているが故に『今』を付けて逃げ道を残しておく。ということだと思う。
【填まる】と言うのは、他に替え難くピッタリと納まるという意だ。軽々しく使用してはいけない。
こう断言してしまうと
『私は本の修理に、多分、填まっているような気が少しだけしている』 急に気弱。
でも私としては、「陥る」の方が感じが出ていると思います。好きなものにのめり込んでいる様子だとか、恋に陥ると言ったときの様子と通ずるものがあると思います。英語だって、フォーリング・ラブって言うじゃないですか・・・。